2017年11月8日水曜日

ネットが危険なのではない

ネットで知り合った人での事件があると、ネット経由の人間関係は危険、という言説がまた流行るのだろうが、だったら代替手段を示さなくてはならないと思う。

人間関係が狭い範囲の血縁・地縁・学校・仕事場のみで成立していた時代ならば、個々の人間が孤立することも少なかったかもしれない。今そうではないのは、人間がそのものが変わったからではなく、単に人間の行動範囲・情報取得範囲が技術の進歩によって広くなったからである。また、旧来の狭い関係性が機能を失いつつあると、より許容できる人の範囲が狭くなり(場の管理者の意向が強く出てしまう等)、適応できない人が増える。だから他の手段で関係性を築く。それだけのことである。

私自身、家族は母だけである上に一人で上京し、上京後の学校の級友も半分以上が地方からの人間だったため散り散りであるため、ネットで知り合った人たちには随分と助けられている。私が23区の商店街を全部歩いたところで、ネットがなければそれを知る人などほとんどいなかっただろう。散策会だって、ネット抜きの私の人脈からではとても実現できない。

ネットでの出会いを奪うというのであれば、狭くとも一定程度様々な人を包容できる代替ネットワークを確保しなければならないが、その成立に積極的に突っ込んでいく人は少数だろう。私的負担でできるようなものではない。結果として、小さく弱くなったコミュニティーや偏ったコミュニティーしか残らず、多くの人がより孤独になるのが目に見えている。

いちばん良くないのは、「ネット人脈なしでは友人もいないような人は事件など起こされると迷惑だから一人で生きなさい」「孤独な環境に適応できない人がすべて悪い」というような、何も生み出さない極端な意見が幅をきかせることだ。ほんの少しの悪い事例だけを見て、圧倒的大多数の事例を見ないのはあまりに偏った考え方に過ぎる。

ネットが危険なのではなく、人間自体をどう信用するかの問題である。大半の人は危険ではないのだ。リスクは何にだってあるし、それを選択する自由が人間にはある。他人がリスクを取ることを、やめさせることはできない。リスクがゼロでないと満足できない人もいるだろうが、それは永遠に達成されない。

個人的には、ネットでどんどん人脈ができるほうが良いと思うし、ネットだからといって個人を隠すのではなく、必要なタイミングで自分のことを開示することで信用を作ることができる仕組みを作れないかと思う。たとえば、公的な個人情報バンクを作り、自分が開示したい人には部分的な個人情報を公的な担保を付して示すことができる、というものができればいいと思う。旧来の人間関係によくある知人の仲介のようなものがないのだから、様々な個人情報や過去の行いの記録から自分の信頼性を示すことができれば、ある種のごまかし・ハッタリは効かなくなるが、私としては便利だと思う。

閲覧数の多い投稿